タイトルと中身が合ってない件について

昨日の続きを書こうと思う。小学校の先生に、机にでかい三角定規を叩きつけられたことはあるだろうか。僕はある。何でそんなことになったかというと、僕が椅子にもたれ掛かって船漕ぎをしていたからだ。そしてしばしばずっこけて木と木がぶつかり合う音を盛大に響かせたものだ、授業中に。もしかしたら反抗的なので躾ける必要があると思われたのかも知れないし、先生だって人間なのだから単にむかついただけだったのかもしれない。僕としては退屈な授業を楽しく乗り切るための精一杯の工夫だった。だってやっていたことは足し算だったのだから。いつものように背もたれに寄りかかっていると、荒々しい歩調で近寄り、叩きつけたわけだ。もちろん定規の先端は折れて弾け飛び、僕の頬を掠めた。今でもその感覚は残っている。鮮明というわけじゃないけど。右の頬だったことは覚えている。僕がやっていたことが適切とは言わない、むしろよく言われるところの通常の三倍の勢いで僕はアレなというか扱いにくい児童(小学生なんで)だったかもしれない。しかし叩き付けんでも、とは思うけれど。この出来事は、僕に「とにかく間違ってる」((これは「僕のすべてが間違っている」という意味ではなく、「とにかくお前は間違っている。すべてではない。どこかお前の気づいていないところに間違いがある。どこかに。そしてお前はそれに気づいていない。とにかくお前は間違っている。」)という意識を植え付けた。そして僕はその教え(これは教えだと思う)を守り、掃除当番であったために掃除の時間中にもトイレに行くのを我慢し、小便を漏らした。二年では、何でかは忘れたけれど居残りを食らい、大便を漏らした。何か保健室のおばちゃんにケツを拭かれた覚えがある。とりあえずアップ。思い出して書いてるうちに訳がわからなくなってきた。だめだ。今日はもう書かない。