一分か、二分

ここ最近、図書館に出掛けたいと思っている。そう思って自転車で出掛けるのだけれど、入れない。いや、別に休館日だとか言うわけではない。僕が、図書館に入れないのだ。別にびびっているわけじゃない。いや、何で今こんなことを書いたんだろう。まあ、どうでもいいわけではないけれど、とりあえず図書館に入れない理由を書こう。つまりはこうだ。

図書館のカウンターには必ず司書がいる。今まで二度図書館に来館したことがある。本を借りるとき、必ず司書に本を渡さなければならない。僕は今まで本を借りたことがない。よって、図書カードを作らなくてはならない。図書カードを作るには身分証明書を見せなくてはならない。それはわかる。いくら世間知らずな僕にだってわかる。もしかしたら人によっては「身分証ってどんなものかわからないんだろう」などと思うかもしれない。そうではないのだ。僕には虎の子がある。自動車の運転免許証*1だ。運転免許証があればたいていのところは大丈夫だ。何が大丈夫かわからないけれど、そのはずだ。何しろ図書館の張り紙にそうあったような気がする。問題はそのあとだ。運転免許証を渡した後からなのだ。

身分証を見せるだけでなく、住所とか電話番号とか、もちろん名前とか、そういったものを用紙を渡され書き込まなくてはならない。いや、別にそれはいいのだ。問題はそのあとだ。

たぶん司書はその情報をパソコンにでも打ち込んでカードを作り始めるだろう。お待たせしてしまった。そこからなのだ。この間!これなのだ。いったいどのくらい時間がかかるのだろう。一分か、二分か。もしこれが一時間だったらどれほどの幸運だろうか。そのとき僕はルンルン気分で図書館内を散策し、もう一冊くらい本を借りることだろう。

一分か、二分。僕は耐えられるだろうか。いや、そうではない。いったん耐え始めたら、一分や二分くらいどれほど辛くとも耐え抜いてしまうことになるのが恐ろしいのだ。しかし、一分か、二分。何かしたわけでもないのに、いや、何もすることがないからこそ、針のむしろだ。

信じてもらえるか、もらえないかわからないけれど、僕はこれを笑いながら書いている。こうやって文字にしてみると、本当にアホの所業ではないか。イギリス人風に自分をユーモリスティックに相対化するどころの話ではない。他人事みたいに感じられる。書いているうちに、もしかしたらすぐに仮のカードを渡してくれて、カードを作るのに時間がかかるので、今回はこのカードを使ってください、などと言われたりするのではないかと思った。しかし、だからといってそれが何だというのか。まず司書に本を渡さなくてはならないことに変わりはない。

僕は明日図書館に行くだろう。自転車に乗って。図書館に入れるかどうかはわからない。本を借りられるかどうかはわからない。

*1:今免許を取れと言われたとしたら絶対不可能だ。今考えると、自分が免許取れたのが、何か天から降ってきた幸運のように思える。ちなみに取ったのは去年の十月だ。教習所に通って取った。当たり前だが。