英語について

小学校の先生の話が長くなってしまった。話を英語塾に戻す。その先生は僕が小四から小五に上がる頃に辞めてしまった。というわけで、僕はまた学習というものが存在しない授業に戻った。

五六年生の頃は他に中学生の少女二人も一緒に授業を受けていた。他にもいたけれど覚えていない。まったく覚えていないわけでもないけど。僕が驚いたのはその中学生だった。教師と単語一語以上の言葉、しかも、どうやら英語でやり取りしているようなのだ。何で外人と喋れるんだろう、と間抜けな驚きに襲われた。中学生になったら英語を習うことはさすがに知っていたけれど、そこまでとは思っても見なかった。そして思った。中学生になったらあれだけ喋れるのなら、今の授業は無駄なんじゃないのか、何しろ自分は単語一語以上は話せないのだから、と。そのような考えに近いものが頭を掠めたのだけれど、しかし僕は英語塾に通うことを止めたりなどはしなかった。

それは習慣だったからだ。習慣とはその頃の僕にとってはそれを続けること自体が目的であるようなものでしかなかった。そして何より母だ。母は当然のように土曜日の出掛ける時間になったら支度をした。そして僕も支度をした。母は途中の畑の近くの柿や竹の子や、アケビや栗や、むかご、土筆、ワラビといった果物や山菜を行きに物色し、帰りに取った。僕ももちろん手伝った。ちなみに百姓の育てているきゅうりを一本盗んで帰ったこともある。母は膝の関節があまりよくなく、たまに歩くことが筋肉を鍛えるので健康にいいといっていた。そして六年生の冬に引っ越すまでそれは続いた。

僕が自主的に何かを始めて続いたことはただの一つも無い。このブログは別だけれど。まあ、それにしたって、ファイルをアップしてしまえばサーバーからデータが消えない限り半永久的に残るインターネットだからこそであり、一種の強制力のようなものだともいえる。紙の日記を書いたことがあったけれど、すぐに続かなくなった。面倒くさかったから。自分で何かを始めるのは僕の場合、罪悪感が伴う。小学校の頃は英語塾以外に書道に通っていたし、小三、小四の頃はそろばんにも通っていた。小五、小六になるとそろばんを辞めて学習塾に通った。習い事の二つや三つに通った経験のある人は、この時間に関しての費用対効果の見積もりが下手くそな、それゆえに時間というか時刻に対して異様なまでにこだわるこの国においては珍しくはないかも知れない。それでも他の人なら空いた時間に自分のやりたいことや趣味に時間を費やしたりするのだろうけれど、僕は時間の使い方が下手だった。何しろ趣味や、やりたい事というのが無かった。他の人がそうしていて楽しそうなのを見て、僕も何かしてみようかなと思うのだけれど、何も無い。だから僕はいつでも退屈だった。そして僕が何かを始めるとき罪悪感を感じるのは、別に本気でやりたいわけでもないのに、楽しそうだからという中途半端な気分で始めたときだ。やっぱりだめだ。うまく言い表せない。これについてはまた考えると思う。考えたいのだけれどいつも上手くいかない。